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情熱のコンシェルジュブログ

元大工で設計士、現場監督、住宅営業の家造り日記です🎵家造りで迷走している方、これから家造りを始める方の参考になれたら嬉しいです🎵

僕の事

皆様こんばんは‼️

情熱のコンシェルジュです。

今日もブログを読んでくださり

本当にありがとうございます‼️

今日は僕の事、自己紹介をさせて下さい。

鹿児島県出身の両親のもと神奈川県で

長男として産まれて妹が一人の4人家族でした。

親父は大工をしていて僕が産まれた頃

工務店を立ち上げて起業し、景気が良かったことも

あり会社もどんどん大きくなりました。

子供の頃から親父の後をくっついていたので

建築現場が僕の遊び場でした。

そんな環境でしたので将来は親父と一緒の

仕事をして会社を継ぎたいな~って

当たり前のように考えて成長しました。

何のためらいもなく大学も建築学科に進み

就職はいきなり親父の会社ではなく

大手のハウスメーカーで勉強をして修行してから

親父の会社を継ごうと思いました。

就職して2年目に僕の建築に対する考えを

叩き直す大きな出来事がありました。


阪神淡路大震災です。


被災された方に不愉快な気持ちにさせてしまったら

大変申し訳ありません。

僕はその時東京の会社に出社しましたが朝

関西地方で大きな地震があった。

とだけ聞いて出社し、会社に着いてから少しずつ

地震の概要が分かってきて本当に

大変な事になってる‼️

僕は本社にいたのですが大騒ぎになり

全国展開している会社だったので

神戸にも支店がありましたが誰とも連絡が取れなくて

近隣の支店とやり取りをして神戸の町が壊滅的な

ダメージを受けている。それだけは分かりました

翌日ようやく支店の方々と連絡がとれましたが

残念なことに神戸支店の自社ビルは横倒しに

なっていました。

大手新聞社の一面に掲載されました。

その後僕は壊滅的な被害を受けた神戸支店を

手伝う為に1年間神戸に転勤しました。

三ノ宮に支店がありましたが本当に大変な状況

で住む所もないので明石支店のワンフロアーに畳を

敷いてもらい15人での共同生活が始まりました。

仕事は本当に忙しかったのですが、休みには

できるだけ倒壊した建物を見て回って

『なぜ倒壊したのか?』

を自分の目で見て勉強したいと思いました。

当時木造住宅が多く倒壊して木造住宅は

地震に弱い‼️

と言われていて僕が子供の頃から慣れ親しんで

これから多くのお客様に木造住宅を提案しようと

思っていたのに『地震に弱い』

と言われ本当に木造住宅は地震に弱いのか⁉️

心の真ん中に大きな大きな不安があったので

その不安をしっかり解決したい‼️

と思って多くの木造住宅、または鉄筋コンクリート

の建物を、鉄骨の建物様々な建物を拝見させて

頂きました。

お断りさせて頂きますが拝見した住宅は

お施主様の許可を取っています。

当時あまり報道されませんでしたが

他県から『震災ツアー』

というのがあってバスで被災地に乗り付けて

建物の持ち主に許可を取らないで倒壊した

建物を見学して写真を勝手に取っていく人々が

現地では問題になっていて神戸の方々の神経を

逆撫でしていたことがあったので

お断りさせて頂きます。

多くの事はここでは書ききれませんが

僕が見て勉強させて頂いた中で

思ったことは

『図面通りしっかり施工されていない。』

ということが大きいと思いました。

図面ではこの大きさの鉄筋を基礎に入れるように

この大きさの構造材を入れるように。

このように施工するように。

ということを守っていない家があまりに多いな。

と思いました。

またしっかり施工されていない建物は人の命を

奪ってしまうんだな。

と強く思いました。

僕がこれから建築に携わるにあたっての

大切な基礎を学ばさせて頂きました。

少し長くなったので今日はここまでで

明日続きをブログに書きたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました‼️